◆ 熊野伸一プロフィール ◆

熊野伸一 (クマノ シンイチ) アコースティックギターの熊野伸一 Photo
昭和38年11月4日生まれ
A型 身長180センチ 体重80キロ
1963年 滋賀県大津市で生まれる。2歳で新聞を読み、4歳の時の愛読書は、辞書。
周囲は、天才だと勘違いしていた。
1973年 10歳の時に、網膜色素変性症と診断を受け、将来失明すると告げられる。
1978年 15歳で失明。盲学校へ進む。
1980年 16歳の時に、大阪市立盲学校の7人の視覚障害者の仲間と、ロックバンドシャンテを結成。
国際障害者年の多くのイベントに参加。
1982年 東京で改めてシャンテを結成。
健常者の仲間とハードロックバンドで学園祭を沸かせる。
1983年 JAMJAMロックフェスティバル東京に参加し、有名ロックアーティストとの共演が実現。
1985年 日本テレビ(24時間テレビ)でライブが生中継される。
1986年 大阪で新たなメンバーと共にシャンテを再結成。学園祭や各地のイベントに参加。
1987年 熊野伸一が有線放送やラジオ、テレビでパーソナリティーとして活躍。
1989年 花と緑の博覧会において、5000人の聴衆を集め、ライブを大成功に収める。
この時に「愛が叶うように」の楽曲が生まれる。
1990年 大阪市天王寺区の大阪国際会議場大ホールで単独ライブ。
1991年 御堂会館にて、桑名正博さんと初のジョイントコンサートを行う。
この時、初めてシャンテに手話ボーカルが加わる。
1992年 ニューイヤーロックフェスティバルに初参加。シャ乱Qなどのアーティストと共演。
1993年 台湾政府の招きで、台北で初のコンサート。
1994年 一年間のコンサート数が100回を突破。
1995年 桑名正博さんと、「ハートエイド」という、神戸の被災した視覚障害者のためのチャリティーCDを発売。
1996年 テイチクレコードから全国CDデビュー。東京虎ノ門ホールにて三笠宮親王寛仁の前で演奏。
1997年 大阪で行われた日本身体障害者スポーツ大会のテーマソングを担当。
1998年 ロサンゼルス及びバンコクで単独コンサート。大盛況で地元メディアも大きく取り上げる。
この年、ステージ数が274回を越える。
長野パラリンピックのテーマソングを担当。中森明菜、武田鉄矢(海援隊)と共演。
1999年 熊野が過労のため、シャンテの活動を一時休止。
2000年 現在のメンバーでシャンテを再結成。手話ボーカル熊野知子が加わる。
2001年 CD「忘れていても」を発売。
2002年 直井敏光のレクイエム「疾すぎたテンカウント」を発売。
押尾コータローのアレンジを元に、熊田晃典、妹尾隆一郎、大西雄介、ヴァイオリン平松加奈らと共演。
2003年 小・中学校での延べ公演数が(94年から)2000回を越える。
2004年 手話ボーカルが参加してからの延べ公演数が、4000ステージを突破。
2005年 知的障害者のオリンピック「スペシャルオリンピックス」のテーマソングを担当。
2006年 12月に地元高槻市で、単独コンサートを再開。

●シャンテの活動だけでなく…
1993年 桑名正博さんと障害者事業所を立ち上げる。
1994年 鳥取砂丘で、世界で始めて視覚障害者単独でスカイダイビングを成功させる。
1995年 北方領土にパスポート無しで、カヌーにて上陸。
1996年 フランス・バルディゼールをスキーで大滑降。ヨーロッパ全土に、テレビでその模様が放映され大反響を得る。
1997年 パラグライダーで、兵庫県大垣町から滋賀県彦根まで単独飛行。
1998年 西村知美さんの結婚式に招待され、代表のスピーチを行う。
1999年 日本で初めて、視覚障害者としてスキューバダイビングの国際ライセンスを取得する。
2001年 沖縄で韓国の障害者ダイバーと、アジア障害者ダイビング大会を開く。
2002年 マッサージ専門学校のため、教科書を出版する。
2003年 マッサージの専門学校を創立。
2005年 念願であった整骨院を高槻市にオープン。
2006年 事業を拡大しながらフィジー王国を単独で旅行する。

まだまだ熊野の夢は、つきません。次なる夢に向かって満身創痍で進むのみです。
でっかいことは、アートでしょう。あっと驚くこともアートだと思います。
何かまた、しでかそうとしている熊野伸一です。


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